THE STORIES of MAKING

デザインと地域社会- 歩いて感じる・地域を楽しむ「おとなの遠足」

デザインと地域社会- 歩いて感じる・地域を楽しむ「おとなの遠足」

2022年4/16土曜日、『MENTOSEN』のお店、シンコーストゥディオが主催した第2回目のおとなの遠足「谷沢川沿いに行く!古墳と等々力渓谷」を開催しました。 この遠足は、コロナの始まった2020年、人との交流が疎遠になってなにか楽しいことはできないかな? 歩いて感じる・地域を楽しむ「おとなの遠足」とタイトルをつけて、地域に住む人たちを誘って始めた遠足です。 
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デザインの視点からデジタルを使うということ

デザインの視点からデジタルを使うということ

MENTOSENのジュエリーの多くは、CADで制作した立体造形を、3Dプリンターで出力したり、CNCという切削をすることで、原型がつくられています。 CADで造形して3Dプリンターで出力することがすべていいとは限らないですが、 MENTOSENでは、今まで手ではできなかったデザインに挑戦することが一つの目的なので、あえてデジタルを使っています。 デジタルを使ってできること  デジタルを使うと、何ができるか。 例えばShikaku[しかく]のリングは、2mm角の立方体がある角度を保って、360°回っています。 まず、これを手で原型を正確につくろうすると、かなりの時間がかかります。 また、リングにはサイズがあるので、サイズごとに立方体の数を増やしたり、減らしたりしていかなければいけません。 正直、コスト的に合いません。 だから、こういったデザインは CADや3Dプリンターをつかうことによって、初めて世に販売できるデザインなのです。 コンピューター上のデザインは、金とプラチナ(シルバー)部分を、別々にきりはなすことができます。 こんな感じに、プラチナの部分をつくり 残りの金の部分をつくります。 もちろん、それを鋳造して金属にしていくのは、実はかなり人間の勘であったり、経験であったりして、その話はまた後日したいと思います。 デジタルデザインのジュエリーが実現するためには おそらく、CADや3Dプリンターを使いこなせる人材はたくさん世の中にいると思います。 その割にデザインに特化した、デジタルデザイン(CADなどコンピューターでデザインされたデザイン)ならではのジュエリーがなかなか生まれないように思います。   その理由は一つには、CADや3Dプリンターを使える人が、圧倒的にデザイン系ではなく、技術系、職人系の人であることが多いからでしょう。 デザインとデジタルを操る人の溝が、そこにはあります。 今までデジタルは、量産や効率化のために使われてきました。 だから、多くの今までのデジタルの使われ方は、「効率的にいかにつくるか?」という視点に立ったものづくりが多かったように思います。 一方で、CADや3Dプリンターを使えても、実際にそれを生産体制を考えて、一般的なコスト内に収めるには、色々な発想の転換や、様々な分野の人との新しい発想の出し合いが必要になるでしょう。 身に着けた時の心地よさ、耐久性 また、ジュエリーにとって身につけたときの心地よさや耐久性も大切です。 ジュエリーがほかのモノと違うのは、毎日身に着けていても壊れない。 100年レベルでの耐久性や永劫性です。 ジュエリーは、本当に長く長く、わたしたちデザインした人間が死んだ後も使っていただけるように設計しなければいけません。 そんなことが、実に難しい。 多様なモノが世の中に出ていくこととは 一方で、色々新しいことにチャレンジしていくことは、楽しい。 結局、人の新しいことをしていくことが、「楽しい」という、共通の気持ちが、すべての『線』すべての『面』に凝縮されると思うのです。  デザインの視点からデジタルを使うこと。 それは、ある意味、今まであったジュエリーのあり方に、抵抗していくことなのかもしれません。 今までできなかったデザイン、ものづくりを通して、もっと多様なジュエリーやモノが世の中に出ていく。 それが、人の色々な生き方をやさしく後押しする一歩に感じるのです。By Akiko Yonei

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ジュエリー価値と多様性

ジュエリー価値と多様性

富や名誉の象徴としてのジュエリー ジュエリーは長い間、その素材価値のためか、富や名誉の象徴としてつくられてきました。 金の価値や、石の価値。 確かに、ジュエリーの大切な一要素は、体に身に着けるので、その耐久性がとても大事です。 変化しない金やプラチナ、高度が高く美しく、壊れにくい石=貴石(ダイヤやサファイヤなどの)が必要でしょう。 人間らしい、微妙な感性とか、感覚 けれどいま、私たちは、ただその素材価値や、石の価値だけのジュエリーを着けたいか?というと、多分、少し違うのではと思うのです。  大量生産、大量消費はプロダクトの画一化をもたらしました。 それは、買う人にとって、買いやすい価格帯を提供するものだし、 一般の人が手に取りやすい方法を、制作者たちがが努力を重ねてつくりだしてきた努力のたまものです。 その制作工程の工夫は、もちろん私たちがつくるジュエリーに大きく反映されています。 そのうえで、 世の中のモノは、つくりやすいモノ、売りやすいモノであふれてきてしまったように思います。 人間らしい、微妙な感性とか、感覚とか、 こんなライン、こんな造形、質感がきれいだね...とか、 そんなことを、身に着ける人たちと共に通じ合える瞬間がモノづくりの、そして、モノを所有する醍醐味だと思うのです。 そこに、今までにない新しい感覚や制作技術を取り入れることによって、新しいなにかを伝えられたなと思います。   凛として自分の価値観で生きていく 私たちがたぶん、少し言いたいのは、「画一的な人間像、お決まりの男性像、女性像は、そんなにいないゾ!」ということです。 かわいくて、きれいなら、ジュエリーはそれでいいのか? 私たちはそんなに、かわいくないし、きれいでもないし、みんな変わっていて、でも凛として自分の価値観で生きていくよ。 そういう価値観が、広く認められることが、多分多様性を認めるってことなんだと.. 多くの言葉より、自分たちのつくるモノで示そうと思う日々です。      

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