バウハウス建築「三岸アトリエ」2
バウハウスで学んだ数少ない日本人、山脇巌の設計による個人のアトリエ「三岸アトリエ」
バウハウスは、1919年にドイツ、ヴァイマールにできた、革新的な美術学校で、ヒトラー政権下に閉校に追い込まれるまで、わずか14年の歴史しかありません。
けれど、その14年の中に、現在のモダニズムの源流をつくりました。
この時代は、工場で大量にモノをつくり販売するという時代の幕開けでした。
量産の中にも、人々が快適に、創造的に生きられるためのデザインとものづくりを提唱したのがバウハウスの功績ではないでしょうか。
機能的だから美しい。
合理的でも美しい。
それまでのヨーロッパのデザインは、装飾がこんでいる、手がかかっているものが素晴らしいとされていました。
無駄なものをそぎ落とし、
新しい素材を使って、
技術を使って、
創造性がそこにあれば、普通の人々にもデザイン性に満ちた豊かな生活を提供できる。
ドイツのヒトラー政権下でなされた、奇跡的な教育と言えるでしょう。
その後、バウハウスで教鞭をとった優秀な人たちは、世界中に亡命というかたちで散って行きました。
それが、バウハウスの精神を世界中に広げ、モダンデザインが広がっていった一つの要因だったのでしょう。
バウハウスで教鞭をとったカンディンスキーが、提唱した「点と線から面へ」。
美しい『面』、美しい『線』、というとても基本的なことを、大切にモノをつくって行く。
新しい技術があったら、貪欲に取り入れていく。
私たちの『MENTOSEN』は、バウハウスのものづくりにも影響をうけているといっていいでしょう。