バウハウス建築「三岸アトリエ」1
中野区鷺宮(さぎのみや)にある「三岸好太郎、節子」のアトリエに行ってきました。
このアトリエが文化財として指定されているのは、この二人の画家のアトリエという以上に、バウハウスで学んだ数少ない日本人、山脇巌の設計によるものだからです。
1936年に建ったという。
今回、建築を見に行ったのだけれど、アトリエにたどり着いてから、ここの主である、三岸節子のことをハッと思い出した。
数年前、大磯のアトリエで桜の絵を描き上げる晩年の節子のドキュメンタリーを見ていたのです。この鷺宮のアトリエは好太郎が山脇巌に発注したのだけれど、結局住む前に31歳で早世してしまった。
その後に残ったのは、3人の子供と、アトリエ建設の借金だったそうで、その後、節子は死に物狂いで子供を育てながら、絵を描いたといいます。
このアトリエには、節子の汗と涙がおちているのかな?そんなことを、しみじみ感じるのでした。
その後、節子は、画壇での女性の地位向上にも尽力したり、60歳を過ぎてフランスに移住、20年後帰って来て桜の絵に向き合うようになった。
94歳で亡くなるまで、画家という仕事にすべてをつぎ込んだ人だった。
篠田桃紅も同じように、逆境の中で、激しく、つよい魂を持ち続けた女性たちだ。この時代、女性が絵を描くことが、どんなに大変であっただろうか。
そういう、すべてを乗り越えて、心が鋼のように強くなって、至ることができるのが真の芸術家なんだと思う。
そして次回は、やっとバウハウスのことを書こうと思います。