ジュエリー価値と多様性
富や名誉の象徴としてのジュエリー
ジュエリーは長い間、その素材価値のためか、富や名誉の象徴としてつくられてきました。
金の価値や、石の価値。
確かに、ジュエリーの大切な一要素は、体に身に着けるので、その耐久性がとても大事です。
変化しない金やプラチナ、高度が高く美しく、壊れにくい石=貴石(ダイヤやサファイヤなどの)が必要でしょう。
人間らしい、微妙な感性とか、感覚
けれどいま、私たちは、ただその素材価値や、石の価値だけのジュエリーを着けたいか?というと、多分、少し違うのではと思うのです。
大量生産、大量消費はプロダクトの画一化をもたらしました。
それは、買う人にとって、買いやすい価格帯を提供するものだし、
一般の人が手に取りやすい方法を、制作者たちがが努力を重ねてつくりだしてきた努力のたまものです。
その制作工程の工夫は、もちろん私たちがつくるジュエリーに大きく反映されています。
そのうえで、
世の中のモノは、つくりやすいモノ、売りやすいモノであふれてきてしまったように思います。
人間らしい、微妙な感性とか、感覚とか、
こんなライン、こんな造形、質感がきれいだね...とか、
そんなことを、身に着ける人たちと共に通じ合える瞬間がモノづくりの、そして、モノを所有する醍醐味だと思うのです。
そこに、今までにない新しい感覚や制作技術を取り入れることによって、新しいなにかを伝えられたなと思います。
凛として自分の価値観で生きていく
私たちがたぶん、少し言いたいのは、「画一的な人間像、お決まりの男性像、女性像は、そんなにいないゾ!」ということです。
かわいくて、きれいなら、ジュエリーはそれでいいのか?
私たちはそんなに、かわいくないし、きれいでもないし、みんな変わっていて、でも凛として自分の価値観で生きていくよ。
そういう価値観が、広く認められることが、多分多様性を認めるってことなんだと..
多くの言葉より、自分たちのつくるモノで示そうと思う日々です。